使用者責任

松本智津夫被告(求刑死刑)の裁判で無罪を主張するが、刑事は命令の有無だが、民事では使用者責任がある。で、命令の有無は既に一次審であることを前提とした判決が下されている。既に裁判上での結論は、存在する、で決定している。無闇に判決を伸ばそうとするだけしか能の無い弁護団は存在価値は無い。判決の覆る可能性の無い上告などをするのであれば、弁護団はテロリストに荷担する連中と断言しても合理的だろう。

さてさて、たかだか30人弱しか殺害していない団体の使用者は刑事裁判にかけられたが、3〜4桁の人間を殺害してきた団体の使用者は民事裁判にしかかけられていない。真に死罪をもって臨むべき人間はそんな人間だろう。何度も言うが、自衛隊をもって殲滅すべきだ。

話は戻って。
裁判員制度について叩く。
いてもいなくても、裁判員全員反対でも職業裁判官連中の賛成だけで判決が成立するだろうから、存在する価値が無いと読む。で、メディア規制の意図がある案だし、まったく賛成できる余地がない。ま、裁判員の次は警察予備員とか言うんだろう。その次は徴兵、軍隊送り。国家総動員法にしか見えてこない裁判員制度。嫌だねぇ。こんな愚かな国家だったら、…

http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20031031k0000m040076002c.html
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20031031k0000m040090000c.html