元日本代表・大分MF増田が引退

 元日本代表の大分MF増田忠俊(32)が今季限りで引退することが12日、明らかになった。柏から移籍した今季は持病の腰痛に悩まされ、リーグ戦3試合、ナビスコ杯4試合の出場。夏場は1カ月近く治療に専念し、一時的に症状は回復したが、同時に「まだ気力のある今のうちに第2の人生を踏み出そうか」と考えていた。すでにシャムスカ監督とクラブ首脳に引退の意思を伝えており、近日中に発表される。今後は未定。
 静岡学園から鹿島入りし、3年目から試合に出場した。97年から頭角を現し、天才的なドリブルとパスでファンを魅了。リーグ戦とナビスコ杯、ゼロックススーパー杯、天皇杯とすべてのタイトルで優勝を知る。98年1月には「岡田ジャパン」に初選出。同年8月に右すねを複雑骨折したが、1年以上に及ぶリハビリを経て奇跡の復活を遂げた。その後は東京−市原(現千葉)−柏を経て、今季から大分に移籍していた。
 11日名古屋戦で7カ月ぶりのリーグ戦出場を果たしたが「技術が落ちたとは思わないけど、感覚的に違う部分が出てきた」と漏らしていた。「リーグ戦残り4試合はプロ生活の締めくくりになるし、全部勝つ気持ち。試合に出られなくてもチームに帯同(ベンチ入り)できるよう努力したい」。創成期からJリーグを盛り上げてきた、プロ15年目の名MFは完全燃焼でユニホームを脱ぐことを誓った。
 ◆増田忠俊(ますだ・ただとし)1973年(昭和48)12月25日、静岡県生まれ。静岡学園高では全国大会出場はなし。92年に鹿島入り。天才ドリブラーとして3年目から試合に出始め、リーグ戦など多くのタイトルを経験した。J1通算235試合出場32得点。国際Aマッチは98年2月のオーストラリア戦の1試合に出場。家族はモデルの可奈子夫人と1女。171センチ、70キロ。B型。
(日刊スポーツ) - 11月13日9時58分更新

ここは、「残念」ではなく、「お疲れ様」と、勇退を祝福するべきなんだろうか。
もう、そんなに時間が経ったんだと、ふと気づいた。